龍神悦子のプロフィール
龍神悦子(りゅうじん えつこ)です。
こちらのブログを訪ねてくださりありがとうございます。
龍神悦子/りゅうじんえつこの主な活動
画家・イラストレーター
イラストレーションのご依頼や絵画・工作のワークショップの依頼を受付けております。
子どもの頃から絵を描くことや物をつくることが好きで芸術系大学の美術学科を
卒業しました。卒業後は服地メーカーでデザイン企画のお仕事をしたり、展覧会
で絵画の展示をしておりました。そんな時に個展(一人の展覧会)編集者の方に
お声掛けいただいたのがきっかけでイラストレーションのお仕事を始めました。
その後、デザイン系の大学で講師として指導にも関わりました。
主なワークショップ
2006年 春川インターナショナルマイムフェスティバル 美術プロジェクト(春川、韓国)
2013年 カナダケベック日本文化交流シンポジウム ケベック州のすべての地域の100人の画家展 (カナダ、サンソーヴァ)
2014年 Icon×G.N.A「お家カスタネットで街づくり」親子向けワークショップ リビングセンターOZONE(新宿)
2016年 「狭山池クリエイティブフラッグ」招聘アーティスト 大阪狭山池築造1400年記念事業(大阪狭山市)
2017年 「ナウリコット村の子どもたちと絵を描く旅」ポカラ女子師範学校(さくら寮)、コバン村学校(ネパール、ポカラ、コバン)
「狭山池クリエイティブフラッグ」招聘アーティスト 大阪狭山市市制30周年事業(大阪狭山市)
2018年 「ナウリコット村の子どもたちと絵を描く旅」ナウリコット村学校、コバン村学校(ネパール、ナウリコット、コバン)
主なイラストレーションのお仕事
2005年 株式会社 ぎょうせい 月刊「EX」表紙絵画 4月~2006年3月
2011年 公益財団法人 修養団 月刊「向上」表紙絵画とコメント文 ~現在も継続中
2014年 株式会社 KSプロジェクト「世界初 鍵本聡の頭がよくなる三角パズル」宣伝用リーフ表紙絵画
2015年 株式会社 講談社「薬学教室へようこそ」(ブルーバックス)編・著 二井將光 カバーイラスト
株式会社 秀学社「新しい国語のワーク」中学1~3年 表紙イラスト
2018年 熊本博物館 吹抜け空間壁画「青い空・熊本の記憶」原画制作
ここからは長くなりますので、興味のある方のみお読みください。
龍神悦子の歴史
大阪市内で生まれました。初対面の方からは龍神(りゅうじん)という姓が珍しいと
言われることが多いので先に紹介させてください。
和歌山県の田辺市龍神村という村があります。名前の由来はその村からです。
祖父が龍神という姓を継いでおります。祖父の代から大阪市に出てきており
まして、もう直接の親戚は龍神村には居ないのですが、
龍神村に行くと表札に「龍神」とあげられている家がたくさん見られ不思議な
感じがします。
子どもの頃から学生から就職まで
子どもの頃は、空想と現実が混ざった不思議な世界で生きておりました。
一人で絵を描いたり空想に思いをはせておりました。
学校の教室でクラスじゅうの皆んなに無視されイジメられた時も、
一人で楽しんでいるとクラスメイトが「楽しそうやなぁ(^_^;)」といって無視が
馬鹿らしくなった様子でした。
当時から絵を描くことが好きだったので夏休み後の朝礼では
よく表彰されておりました。
ですが、他の勉強はあまり(^_^;)得意でなかった為、高校の時に絵では食べて
いくのは難しいと思い。
それでは、ファッションデザイナーがいいかもと同じモノづくりの職業に
憧れておりました。
そんなことが理由で、受験対策のために近所のデッサン教室にに通ったのです。
ところが、、そのデッサン教室の先生になぜか、ファッションよりも
美術学科の方がトータルに勉強が出来るからといわれて美大を受験しました。
美術学科は合格したものの。
美大の卒業を間近に控えた際、にもともと夢だったファッション業界の
憧れと未練を断ち切れず。
服地メーカーに就職することに決めました。
就職活動で京都の服地メーカーのデザイン企画の職につくことになったのです。
現実は、企業内の仕事は細分化されており、どれだけ仕事をしても
自分の名前は出ず。歯車の駒としての働きでした。
特にファッション業界は展開が早く、私が考えた服地プリントの洋服が半年後に
市場(しじょう)に出たのです。
実のところもっと時間がかかると思っていたので拍子抜けしてしまいました。
当初の仕事では、どうしても、やりがいが見出せず。
もっと自分の思いを直接、ダイレクトに人々に伝えたいと思うようになったのです。
それに残業ばかりで自分の時間を持てなかったということもありました。
仕事を辞めて絵を描くことに、専念したいと思ったのです。
それからは、アルバイトなどをしながらも絵の展覧会だけは、
なんとか続けておりました。
イラストレーションの初めてのお仕事
そんな中で東京の銀座で個展をした時に、編集者さんから
「表紙のお仕事に興味はないですか?」とお声がかかりました。
その時は名刺交換のみでしたが、新作が出来た際に思い切って編集者さん
に新作を見てもらいに銀座まで出向きました。
そんな積極的な行動が良いご縁を結び
現在のイラストレーションのお仕事に繫がってゆきました。
勘違いばかりの時代
20代の頃に大賞を頂いたのですけど、それまでの作品のストックがなく。
一枚目で賞を頂いたことがプレッシャーでした。
そもそもコツコツ練習したり、作品をコツコツ作り続けることの重要性よりも
一発逆転思考があったと思うのです。
絵を描き仕事にしてゆかれる方すべてに言いたいことは、一発逆転思考では
結果を出し続けられないということなんです。
例えば運動選手に置き換えて説明すると、基礎トレーニング(筋力をつけること、柔軟性を養うこと、栄養をとること、メンタルを整えること)体づくりとメンタルづくりと食事の大切さは表現を永く続けるにあたりその大切さに気づくのです。
絵を描こうと思っても家族が病気の際に描けないときにどう気持ちを持ってゆけば
良いのか?など独自に勉強が必要だったのです。
個展をして気づいたこと
絵を描いたり表現したりする人って「作品=自分」と思いがち
つまり、作品を批判されると自分を批判されていると思い込んでしまう。
作品=自分に「自己投影」してしまうのです。それにより作品を発表したり販売したりすることに恐怖を持つ人がいるのです。
私は展覧会に来た観客の一人一人に逃げずに感想を聞いていた時に気づいたのです。
感想って作品を観た相手が出すことなので、その相手の力量を逆に試されるってことなんです。
作品を通して相手を知ることが出来るコミュニケーションツールと考えれば
充分気持ちが楽だと。そう理解出来たのです。
龍神悦子の使命
「好きなことをする」ことをどこかで諦めていませんか?
絵を描く時間を持つことで、楽しい時間が増えますよ。
もちろん絵を上手に描きたいという方の為の方法もあります。
上手に描くことだけが絵を描くことの楽しみ方ではないのです。
日本人の気質なのか、どうしても相手がどう思っているのかとか、
人にどう見られるかばかりを気にし過ぎる傾向がある気がします。
自分自身がどうしたいのか?何をしたいのか?何を描きたいのか?
表現することは自分らしく生きることで
自分にとって何が重要で何が不要なのか?
自分にとって必要なもの大事なものは何か掘り下げてゆくことだと思うのです。
私は絵画という表現活動を通じてその人が他人の眼差しの支配から解き放たれ
「自分自身を生きる」という手助けが出来ると信じているのです。
十人十色というように、
表現が自由に出来れば、素の自分で居られのです。
鎧や自己卑下をせず楽に生きられるのです。そんな訓練をし続けていると会いたい人に会え出会いたい人に出会える。
そのような楽な自分になれるのです。
物事には効率や成果ばかりが求められます。
世の中の仕事というものはそういうものです。
ですが、そんな他人の眼差しに支配されて動けない人に
第一歩を「踏み出す勇気」を伝えたい。
そういう人を救いたい。
救うのが私の使命と思うのです。
私の夢は
たとえばネパールの高山の村では美術教育が熱心でなく暗記教育が中心です。
暗記教育が中心ということはどういうことかというと、予期しないハプニングに出会ったりトラブルが降ってきた時の問題解決ができないんです。工夫したり発展させたり自分でなんとかしようという頭が働かないのです。
絵を描いたり物を作ったり考えたりすることで鍛えられる想像力というのは、
もの凄い力を持っていると私は思うのです。
想像力とか問題解決する能力というのは生きてゆく上でとても大切だということ。
直観を鍛えるという訓練の重要性を私は使命として伝えて行きたいのです。
龍神悦子のその他の情報
1967年生まれ
大阪府堺市在住
母と父と私の3人暮らし
昔、クッキーという名の猫を飼っていました
白黒のはち割れ(タキシードキャット)雄猫でした、病気になって弱ってしまい死を悟ったのか?外に出て行ったきり帰ってこなくなりました。白黒の猫を見るとクッキーを思い出し悲しくなります。